今朝目覚めて、しばらく無かったあの感覚を感じた。
「空腹」だ。
毎日30度越えで湿気も多く、熱中症気味のところにアメーバ赤痢で、食べたらお腹は痛くなるし、むしろ食べ物の匂いを嗅いだだけで吐きそうな毎日であったが、昨日から熱も下がり、腹痛が起こる頻度も下がって、頭がスッキリしてきた。ただ寝ているだけの病院は窮屈で、いるだけで病気になってしまいそうな気持ちすら覚えた。
そんな頭がハッキリしていなかった時、”アーティスト”というワードが頭の中でずっとグルグル回ってた。
カンボジアに入ってから半分以上の時間を病院で過ごした訳だが、それでも俺はこのシェムリアップという町を気に入っているんだと思う。
その大きな理由の一つは、ここで多くのアーティストと出会えた事だ。
彼はカンボジア生まれのカンボジア人で写真家だ。カンボジアは東南アジアの中でも最近まで内戦をしていて、発展が未だに遅れている国という印象が正直あって、そこで活躍する写真家とはどういう人物で、どういう活動をしているのだろう?と、とても興味があった。
彼はオーストラリア、イギリスやアメリカ、他にももっと多くの国で写真展を行なっていて、今度はニュージーランドのオークランドでも個展をするそうだ。
写真展をやるのには大きなお金が必要だ。僕が初めて写真展をやった時、場所代の高さ、そして印刷して展示用にパネルを作るまでの経費とそこにかける時間の多さに尻込んだのを今でもハッキリと覚えている。
『どうして世界中で写真展を行えるんだ?』
率直な質問だった。
彼は最初にカンボジアで行われたフェスの1ブースに写真展として申し込んで、そこで出会った人から次に別の国で行われる写真展に作品を提供して欲しいと招待され、そこでまた新たに繋がって今に至るらしい。
今では旅費も印刷代も場所代も全てスポンサーを受けて写真展を開催している。
カンボジア人の平均給料は、日本人のそれと比べて遥かに低いのは現実であり事実だが、一人のカンボジア人がカメラ一つで自分の好きな写真を撮って生活でき、世界を旅出来ているのも事実であり現実だ。
喋り方もとても大人しい彼に対して、僕はただただ興奮して話をした。
彼はその後、シェムリアップに住むアーティストを数人紹介してくれた。
紹介された人のギャラリーへ向かう途中、道に迷ってたまたま辿り着いたのがTribeという、イギリス人とアイルランド人経営のまだオープンしていないカフェ。
オープン1週間前で準備で忙しそうだったが、アート好きなオーナー2人は僕たちを優しく迎え入れてくれた。
このカフェはまさに人とアートを繋げる事がコンセプトで、沢山のアーティストと既に繋がっていて、本日12月13日の夜にはある画家の個展のスタートも決まっていた。
オーナー2人が俺たちに、カナダ生まれのカンボジア人の写真家の話、アメリカの牢獄に15年間閉じ込められ、出所した後はビザの関係でカンボジアに強制送還され、今はシェムリアップで素晴らしい絵を描く人の話、あるトゥクトゥク(タクシー)ドライバーが一人の日本人写真家と出会ったのがきっかけで、自分の全財産とも言えるトゥクトゥクを売ってカメラを買って、今では写真家として活動しているカンボジア人の話をしてくれて、なんとその日のうちに話してくれた3人のうち2人に会えてしまった!
その他にもミュージシャンやオペラ歌手など、沢山のユニークなアーティストと出逢い、彼らはシェムリアップで生活している。
共通しているのは『自分が感じたものを、ただ感じて欲しい。自分が表現したいものを見て欲しい』という言葉。
僕はまさに前回の日本帰国の時に、物凄く悩んだ部分だった。
世間が求めるものに耳を傾ける。
相手が何を求めているか考える。
ビジネスオーナーになる人ならこのようなスキルは必要不可欠かもしれないが、自分にはどうしてもこれが出来ないと感じていた。
相手が求めるものを考えて写真を撮るなら、別に写真は辞めて良いと思った。
でも、自分が表現したいものや感動したもの、伝えたい事をカメラという機械で撮影し、作品にするのなら、一生続けたいと思えるんだ。
自分にとっての写真の在り方を再確認し日本を出発して、カンボジアでこのような人達と出会ったことにもきっと意味があるのだと思う。
旅をして人と出会い、文化や知識、経験や体験を共有して、影響して影響されていく。
自分が一番自分らしくいられる瞬間。
朝5時に目が覚めて、病院の窓からボーッと空を見上げていたら、あり得ないくらい空が赤く染まって、その空に感銘を受けて書いたブログでした。
やっぱり健康が一番大事!きっと今日退院出来るかな〜!
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